スーパーカブの歴史 スーパーカブの歴史 1958年にスーパーカブ第一号は誕生しました。最初のモデルは、スーパーカブc100。常識破りの新しい乗り物として人気を集めます。「手の内にはいるもの」をテーマに、皆がコンパクトで使いやすいバイクとして作られました。発売当日に売れたのはなんと1,000台以上。当初想定していた月生産3万台を6万台に変更する大ヒットとなりました。 その後、日本は戦後の混乱を経て高度経済成長期にはいる日本経済。ここからスーパーカブの需要もさらに高まり、売り上げも伸び続けます。当時、マイカーは日本国民にとって高根の花だったため、気軽に出かけられて二人乗りのできる原付二種の重要は高まるばかり。時代のニーズに応えるため、スーパーカブのラインナップもどんどん広がり、シリーズ化と進化を続けます。 乗りやすさを追求した誕生秘話 ホンダの創業者である本田宗一郎社長とスーパーカブ開発当時、専務を務めていた藤澤武夫専務によって開発されたスーパーカブ。日本人が欲しがるバイクの開発のため、ヨーロッパ視察に行ったのがスーパーカブ開発のスタートです。ふたりが追及していた点は「日本らしくホンダらしい」をモットーに新しい形のバイクを作ること。ホンダらしいというのはホンダの原点である大衆的な小型車を創るにありました。そこでふたりの挙げた良いバイクの項目は、エンジンの性能・女性も乗りやすい形やサイズ・クラッチレバーを使用しないギアの操作システム・先進性かつ飽きのこない親しみやすいデザインです。 エンジンの性能を大事にした理由に「日本の道路が悪いから、4馬力でないとだめだ。」と創業者本田宗一郎は考えていたそう。女性でも乗れるようにと考え、頑丈でエンジンが露出していないバイク設計を担当の工業デザイナー(木村讓三郎)に求められていました。 時代を飛び越えるためのネーミング 練りに練ったスーパーカブの開発もいよいよ終盤にさしかかり、消費者へアピールするための車名について検討がされました。 スーパーカブが産まれた時代「スーパー」という言葉は、とても新鮮な響きだったようです。自転車の補助エンジンとして”カブF型”を発売していたホンダは、カブF型のカブとスーパーをくっつけて、スーパーカブとなりました。カブの由来は小熊が自由奔放に走っている様子からとり、英語でBear cub(小熊)のcubから来ているようです。ロゴマークは当時ホンダに1956年11月に入社した工業デザイナー木村讓三郎が、スケッチで書いたものが1発で決まったのだとか。周囲のスタッフも採用に反対はなく使ってくれたそう。 勢いとタイミングが重なって決めたようなネーミング。時代を飛び越え新しい道を切り開くホンダにピッタリのエピソードです。